田中良和国際法律事務所

払う気がないのに求人票に高い年収のレンジを書いておくのはNG Pay Transparency法(給与透明化法)

求人をするときに、給与の記載をどうしたらいいか、悩ましいところです。日本の企業では、実際に払う可能性は低いが、とりあえず高い最高額をレンジの中に含めておいて求人の応募を増やす、という考えの企業もあるかもしれません。例えば、実際は11万ドルの給料しか支払う気がないが、求人には、10万ドルから20万ドルの給与と書いておいて求人の申込みを増やし、実際の給料の提示は、いろいろな理由をつけて、11万ドルで提示する、という考えです。日本ではこのような方法も使われますが、労働者保護の強いカリフォルニアでは、このような方法は避けたほうがいいです。カリフォルニアにはこのような行為を規制するために「給与透明化法(Pay Transparency Law / SB 1162)」があるので、解説します。

カリフォルニア州で「給与透明化法(Pay Transparency Law / SB 1162)」が施行されてから時間が経過しました。 施行当初、多くの企業が慌てて求人票(Job Posting)に給与レンジ(Pay Scale)を記載する対応に追われましたが、現在、現場では「記載さえすればOK」と考えていた企業が、予期せぬトラブルに巻き込まれるケースが増えています。

特に、職務給(ジョブ型)よりも人重視の給与体系を持つことの多い日系企業にとって、この法律は単なる「掲示義務」以上の経営課題を突きつけています。今回は、法の施行から見えてきた「実務上のトラブル」と、日系企業が見落としがちな「訴訟リスク」について解説します。


法の施行直後、一部の企業では「年収5万ドル〜20万ドル」のような、あまりに広すぎる給与レンジを記載するケースが見られました。しかし、現在このような対応は非常にリスキーです。

法律は「合理的に期待される給与範囲(Reasonably expect to pay)」の提示を求めています。あまりに実態と乖離したレンジは、「不誠実な求人」として州労働局(Labor Commissioner)への通報対象となるだけでなく、企業のブランドイメージを著しく損ないます。

【日系企業の落とし穴】 日系企業では「人物重視」で採用し、採用後に等級を決めるケースがありますが、これはカリフォルニアでは危険です。求人を出す前に「このポジション(Job Title)の価値はいくらか」を明確に定義できていないと、レンジ設定の根拠を説明できず、後の差別訴訟で不利な証拠となり得ます。

給与情報の公開が義務化されたことで、最も敏感に反応するのは、実は求職者ではなく**「既存の従業員」**です。

「新しく募集しているポジション、自分と同じ仕事なのに、提示されている給与の下限が自分の今の給与より高い」

既存社員がこの事実に気づいたとき、モチベーションの低下だけでなく、以下の法的リスクが顕在化します。

  • Equal Pay Act(賃金平等法)違反の主張: 「同じ仕事をしているのに、性別や人種が違う新規採用者の方が給与が高いのは差別だ」という訴えです。
  • 報復人事の禁止: 従業員が自分の給与について質問したり、他者と比較したりする権利は法的に強く守られています。会社側がこれに不快感を示したり、不利益な扱いをしたりすることは厳禁です。

【実務上の対策】 求人を出す前に、必ず**「Pay Equity Audit(賃金公平性の監査)」**を行う必要があります。「なぜ既存社員Aさんはこの給与で、新規募集はあの金額なのか」について、経験年数、スキル、資格など、客観的かつ合理的な説明がつかない限り、求人を公開すべきではありません。

「うちはカリフォルニア州外の候補者も募集しているから関係ない」という誤解も散見されます。

現在の解釈では、**「カリフォルニア州在住者が応募する可能性があり、かつリモートでカリフォルニアから勤務することが可能なポジション」**であれば、企業がどこにあろうと、カリフォルニア州の法適用を受ける可能性が高いとされています。

「カリフォルニア州からの応募は受け付けない」と明記する場合を除き、リモートポジションの募集には細心の注意が必要です。

この法律には、従業員の職務タイトルと賃金率の履歴を、雇用終了後3年間保存する義務も含まれています。 もし当局の調査が入った際にこれらの記録を提出できなければ、それだけでペナルティの対象となります。

さらに恐ろしいのが、カリフォルニア特有のPAGA(Private Attorneys General Act)訴訟です。 給与レンジの記載ミスや記録保存の不備といった「テクニカルな違反」であっても、従業員(およびその代理人弁護士)が州に代わって訴訟を起こすことが可能です。これがクラスアクション(集団訴訟)のような規模に発展し、多額の和解金を支払うケースも後を絶ちません。


給与透明化法への対応は、「求人票の書き換え」では終わりません。それは**「自社の賃金体系の説明責任」**を果たすプロセスそのものです。

  1. Job Description(職務記述書)の明確化: 「総合職」のような曖昧な定義を避け、役割と責任を明確にする。
  2. 既存社員との賃金整合性の確認: 外部に出す数字が、内部の公平性を崩していないかチェックする。
  3. 文書化の徹底: なぜその給与レンジなのか、なぜその人がその給与なのか、決定プロセスを記録に残す。

「うちは昔ながらの決め方だから……」は、カリフォルニアでは通用しません。トラブルが起きる前に、就業規則や賃金テーブルの法的なレビューを行うことを強くお勧めします。


※本記事は一般的な情報の提供を目的としており、法的助言を構成するものではありません。個別の案件については専門家にご相談ください。

カリフォルニア拠点(サンフランシスコ、ベイエリア、ロサンゼルス)
カリフォルニア州弁護士・日本弁護士
田中良和

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